先日、ある用事のために娘と待ち合わせしました。
いつも会う時とはまったく違う場所と時間だったせいか、娘が時間を勘違いして私は30分ほど待たされる羽目に。
ごめんを連発したラインが来たので別にいいのですが、ふと、仕事の場面でもこんなミスやっていないだろうなと思ったりして。
頑張れない息子を持った母のお悩み
新聞のお悩み相談で、「頑張れない」息子(大学生)を持つ女性からの相談を読みました。
幼いころからできないことがあっても努力しないでやってきた息子さんが心配で、この先、「嫌なこと」を乗り越えて、一人で生き抜いていかれる人にするためにどうすればいいかと悩むお母さん。
大学卒業できなければ学費はこれ以上出さない、家も出て行ってもらうと宣告したとか。
回答者の社会学者、上野千鶴子さんは、教育の要諦は「魚を与えることではなく、魚の釣り方を教えること」という老子の言葉を引いています。
そして、大学まで行かせたのだから、親としての責任は果たした。
「家から出て行ってもらう」と宣告できるのは立派だとしています。
あとは水の中に落ちて水泳を覚えるように、じたばたしながらオトナになってもらえばいい。
この息子さんは穏やかで友達も多いので、いろんな人の助けを得て、水の中を泳ぎ渡っていくでしょう、と。
中でも私の胸に響いた上野さんの言葉があります。
「何もかもひとりでできることも自立ですが、能力のある人の助けをゲットできる能力だって、立派な自立です」
子どもの頃のイメージ
娘は子どものころからのんびりしていて、つい、親が手を出し口を出してきました。
社会人になっての仕事ぶりは詳しくはわかりませんが、機嫌よく生活しているようなので、それほど辛いことにはなっていなさそうです。
それでも、冒頭に書いたようなうっかりミスを見せられると、「大丈夫か……」と心配になってしまいます。
これまでの、あまりしっかりしているようには見えなかったあれやこれやを思い出し、社会人になっても変わっていないのでは?と不安を覚えてしまうのですね。
それでも人間関係はうまくいっているようなので、上野さんが言うように「能力のある人の助けをゲット」できているのかも。
いつまでも子どもの時のイメージそのままに不安になるなんて、頑張っている娘に対して失礼かもしれませんね。
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