西原理恵子さんの激動人生

漫画家の西原理恵子氏といえば、高須クリニックの高須院長のパートナーとして知られています。

順風満帆な人生を送ってきた人かと思いきや、大変激しい人生だったようで。

子ども時代

生まれたのは高知県。

実のお父さんはアルコール中毒で、西原さんが生まれる前に両親は離婚。

お母さんが再婚した相手には可愛がられ、お父さんが会社を興して羽振りが良かった時期もあったそうです。

でも、お父さんはギャンブルにのめりこんでしまい、会社の儲けもお母さんの貯金も、西原さんがコツコツ貯めた貯金の12万円もギャンブルにつぎ込み、西原さんが大学を受験する日に自死してしまいます。

お母さんは家中からかき集めた140万円のうち100万円を西原さんにわたし、「これで東京に行きなさい」と。

大学時代

東京に行き、芸大に入るための予備校に行った西原さん、そこでの成績は最下位でした。

でも、最下位には最下位の戦い方があるのだと、仕事をもらうために数えきれないくらいの出版社を回ります。

無事大学に入学できてもカット描きの仕事を続け、月5万円くらい稼げるようになったころの目標は「絵の仕事だけで月30万円」だったそうです。

この目標を達成できたのは大学3年のとき。

「ちくろ幼稚園」という作品で漫画家デビューしました。

ギャンブルと結婚

ここから漫画家として順調にいったかというとそうではなく。

ギャンブル漫画の依頼が来た時に始めた麻雀にハマり、10年間で5000万円くらい損します。

さらに「FXをやった体験を漫画にしませんか」との依頼でFXを始め、失った金額は1000万円。自分のアトリエを作るための資金だったのに。

そして、カメラマンの鴨志田氏と結婚して二人の子どもに恵まれるも、アルコール中毒になった夫から酔っては暴言をぶつけられるようになってうつ病に。そして離婚。

鴨志田氏はちゃんと病院に入り病気を治療してから家族の元へ戻ってきたそうですが、そのときは末期のがんだったとか。

彼の葬儀では西原さんは喪主を務めたそうです。

高須先生

そして、もともと西原さんのファンで知り合いだった高須先生からは、鴨志田氏のことで医者としてのアドバイスをもらっていたそうです。

その後、高須先生が奥様を亡くされ、お母様も亡くされたので、西原さんは今まで辛いときに助けてくれたので今度は自分が、と思ったのがきっかけのよう。

高須先生と一緒になってからの西原さんは、もうそれほど驚くようなネタはないのかな?

ようやく穏やかな日々が訪れたのかもしれません。

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