料理研究家の栗原はるみさんのインタビュー記事が朝日新聞で連載されています。
まだ連載中ですが、玲児さんとの結婚を両親に反対されたことを語っています(玲児さんは2019年に亡くなられました)。
知り合ったころ
はるみさんが21歳のとき、友人を介して栗原玲児さんと知り合います。
玲児さんははるみさんと知り合ったときの印象をこう書いています。
「はるみを一目見た瞬間、新聞でくるんだ白菜のようなお嬢さんだなと思った。肌の白さと瑞々しい精気、豊穣の予感と健やかさを一瞬のうちに見てとった」と。
和食しか知らなかったはるみさんが呼ばれていくと、カトラリーが並び、マッシュルーム入りのカレー、丸鶏のオーブン焼き、ブルーベリーマフィン、ビーフシチューなど、新しい世界が広がっていました。
両親の反対
はるみさんが24歳のとき、結婚を意識するようになります。
でも玲児さんは14歳も年上で離婚歴があり、芸能界で仕事をしていました。
はるみさんの両親は大反対。
玲児さんからの電話が鳴るのを待っていても、お母さんが出て切ってしまう。
家まで大きなアメ車に乗って、週末に迎えてきてくれたけれど、それもできなくなります。
土曜日ははるみさんが彼に会いに行かないように、車のキーを隠されたそうです。
でも会いたいから玲児さんの家に行って待つようになります。
26歳で彼の元に行くと決め、実家を飛び出したはるみさん。
でも、玲児さんが常識人で次の日に二人で実家に戻ったそう。
彼が両親に謝って、二人の結婚を許可してもらったそうです。
彼が再婚なので派手なことは避けたいと、両家と限られた友人だけの式。
そこまで来ても両親はまだ反対する気持ちがあったそうで、はるみさんもお母さんも悲しくて泣いていたそうです。
義母はハイカラな人
結婚当初は玲児さんのお母さんと同居。
明治生まれの義母は、洋裁も料理も得意で、読書と香水をたしなみ、部屋にキャンドルが飾ってあるような人。
「義母が良い人でありがたかったです」。
先生であり恋人
玲児さんは外国人のような夫だったそう。
週末、はるみさんはロングドレスを着て、夫とジルバを踊りに。
夜ごはんも、最初のお店ではワインを1杯だけ飲み、次に食事をするお店へ行きます。
家でごはんを食べた後にもワインを飲む。
それがかっこうよかったそうです。
玲児さんははるみさんにとって何でも教えてくれる先生、そして恋人。旦那ではない。
そんな風に思わせてくれたことが素晴らしいと感じているそう。
「彼と一緒になっていなかったら、生涯独身だったと思います」と言っています。
玲児さんのことが大好きだったんですね。
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