母から50年近く前の昔の話を聞きました。
お店をしていた、母の友人の話です。
オイルショックのとき
友人Yさんは近所に住んでいて、手芸品の店を開きました。
手芸は嫌いでなかったし、なにより友達だからという理由で店に通い、せっせと編み物や造花づくりなどの手芸にいそしんでいた母。
そんなときにオイルショックが起こります。
店先からトイレットペーパーが姿を消すという騒動がありました。
Yさんの店は手芸品だけでなく日用品も置いていたのでトイレットペーパーも扱っていました。
どこに行っても買えなかった母はYさんに、「まだ在庫があるなら分けて欲しい」と頼みました。
でも、「全部売り切れてしまって、入荷も全然ないのよ」と申し訳なさそうに言われたとか。
Yさんの店には、同じく近所の主婦がパートとして働いていました。
このパートさんと後日会った時、
「Yさんはあんな風に言っていたけど、店の二階にはトイレットペーパーが山積みになっているのよ。ひとつくらい分けてあげるかと思ったけど、しなかったね」
と言われたそうです。
いくらでも高く売れるんだから、常連に分けるのももったいない、ということだったのでしょうか。
その後、私たちの家族は引っ越ししたので、Yさんと母の付き合いも終わりました。
久しぶりの再会
新型コロナが流行り始めたときのマスク不足の際に、高い値段でマスクを売って儲けた人たちもいましたね。
昔のYさんもトイレットペーパーで大儲けしたのでしょうか。
引越ししてから何年もたって、母は偶然、Yさんに一度だけ会ったそうです。
喫茶店に入っておしゃべりしました。
Yさんは、もうとっくに店は止めたこと、子どもの就職先の話など、自分の話ばかりをして母の近況を聞くことはなかったそうです。
そして、そろそろ店を出ようとなったとき、テーブルの上に伝票を置いたまま、Yさんはさっさと先に店を出て行ったとか。
「普通なら、『ここは私が払うわ』『いえ私が』となるやん? ああこの人、変わってしまったなと思ったわ」
と母は言いますが、Yさんは最初からそういう人で、母を「お金を出させてもいい人」と見ていたのでしょう。
そう言うと、「私もアホやからなあ」と笑っていましたが。
Yさんはたぶん商売がうまくいかなくなって店を止めたのではないかと思います。
山積みのトイレットペーパーもうまく売れたかどうか。
他のお客さんに対しても母に対するような扱い方をしていたのなら、うまくいくはずはなかったでしょうね。
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