コロナウイルスでマスクをする機会が増えました。
これまで、息苦しいのが苦手で滅多にマスクをすることはありませんでした。
でも今年は事情が違います(マスクの在庫が寂しいので使い回ししていますが、それは置いておいて)。
いざ顔半分を覆って外出するようになると、「顔を隠すのが心地いい」ことに気が付きました。
顔を隠すとラク
顔を隠すと(目の部分は露出していますが)、どんな表情をしているかが人にわかりません。
ぽかんと口を開けた間抜けな顔をしたり、不満げに口元を曲げたり、うっかり外ではできないと思っているような顔でもしたい放題!
実際にマスクの下がそんなことになっているかどうかは別として、なんだか気持ちがラクになりますね。
外にいながら、顔半分だけは部屋着でくつろいでいるような感じ。
いいわあ、楽だわあ。
以前に、花粉でも風邪でもないのに、マスクが手放せない若い人がいると何かで読んだ記憶があるのですが、こういう感覚なのかもしれないですね。
人目を気にしないでいいというのは、誰もおばさんの顔なんか見ないとわかっていても、気楽になれるものです。
人目を忘れてはいけない
しかし、人目を忘れるとこういうことが起こる、ということを以前経験しました。
買い物に行った際、近所の主婦を見かけて挨拶しようと口を開けかけたときのこと。
その人がとてつもなく不機嫌そうな顔をしているのに気が付きました。
口はへの字に曲がり、目は拗ねたように座っていて、まるで怒られた後の子どものよう。
私は急いで口を閉じ、見つからないように下を向いてそそくさとその場を離れました。
スーパーの野菜売り場であんな表情をしなくてはいけない理由はなんだったのだろう。
普段のその人の、きれいで愛想がよく、おしゃれなイメージとのギャップがありすぎて、しばらくその表情が頭から離れませんでした。
夫婦喧嘩でもしたのだろうかと思いましたが、意外と「広告の品」が売り切れていたとか、そんな理由だったのかもしれません。
いずれにしても、いくら近所の行き慣れたスーパーであっても、自宅のリビングではないことを忘れちゃいけないなと自戒を込めて思ったのです。
緊張感は必要
そう考えると、マスクで顔を隠すことに慣れてしまうのは良くないのではないかと思いますね。
ウイルスや花粉、その他マスクをしなくてはいけない理由があるときは別にして、外と自分とを遮断することは避けた方がいいかもしれません。
ウエストだって隠したりラクしたりしていると太くなると言いますから、顔もマスクで隠し続けていると緊張感がなくなるかもしれない(勝手な憶測)。
やっぱり人目は必要なのでしょう。
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