60歳前後になると自分の人生を振り返るものなのかもしれません。
ある61歳の女性が、
「自分が何を求めているのかわからないまま、時間だけが流れてしまった。ある時期から、もう自分自身に退屈してしまって……」
と語っている記事を読みました(AllAboutより)。
ずっと退屈
彼女は短大卒業後、大手企業に入社。
バブル期には海外旅行によく行き、同僚の何人かは留学を経て、今もアメリカに住んでいたり、外資系企業で仕事をしていたり。
彼女も留学したかったけれど臆病でできなかったとか。
27歳で社内結婚し、退職。
子ども二人が学校に上がったところでパートに出ます。
何かしたいけれど、何をしたいのかわからなかったと言う彼女。
フランスに留学してお菓子を習いたいと思ったこともあったけれど、夫に一蹴されます。
「夫を説得できるだけの情熱がなかった」のだと言います。
40代半ばからは、ずっと退屈な人生だったそうです。
パート仕事を変えたり、スポーツジムに行ったり、習いたかったピアノ教室に行ったりもしたけれど、何をやっても大して楽しくなかったとか。
友人からは、今からだってやろうと思いさえすれば、何かはできると言う言葉をもらったそうですが、本人は「今までできなかったのだから、今から何かできるとは思えない」と。
「平凡な人生だったけど、それをよしとするしかない。自分を納得させるために老後を生きていくんだろうなと思っています」。
気持ちひとつで
「ずっと退屈だった」という言葉は衝撃的です。
ただ、「退屈と思えば退屈だし、幸せと思えば幸せ」という例なんじゃないかと思います。
順調すぎる人生を、刺激がなく、おもしろくもないと感じてしまっているのかも。
でも、「何をしてもおもしろいと思えない」点は、ひとごととは思えません。
私もこの先の人生、何を生きるよすがにしていったらいいんだろうと迷うことがあります。
最近、幸福度の高い人は「趣味とは言えないけれど、日々の生活の中で楽しく続けていることや習慣を、複数持っている」ということを知って、これでいいのだと思いました。
趣味というとどっぷり浸っているイメージですが、ほんのちょっと齧るだけでも、すぐに飽きてしまっても構わないってことですね。
上記の還暦女性は、何か大きなことを求め過ぎたのかもしれません。
小さな楽しみをいくつも持って、自分を認め、励ましつつ日を送れば、退屈なんてことはなくなるのでは。
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