自分で服が作れたらいいなと思うけど

これができればいいな~と思うことはいろいろありますが、そのうちの一つが洋裁です。

自分の着る服を自分で作れることに憧れています。いいな~。

昔はだれもが自分のものは自分で作っていた時代があったのでしょうが、私はそんな時代に生まれなくてよかったわと思う人間です。

洋裁のできる人に憧れの目を向けるのは、既製服のサイズが自分に合わないから。

それに、心底気に入った服をなかなか見つけられないから。

作ることができれば服が見つからない悩みから解放されると思うのは短絡すぎでしょうか。

山が高すぎる

でも現実問題として、普段、針を持つのはボタンの付け替えくらいという私にとって、服を縫うのはあまりに山が高すぎます(ヒマラヤくらい?)。

かといって、ごくごく簡単なところ、例えば「直線だけで縫える服」などから初めて、徐々にステップアップして難しい服でも作れるようにしていこうという根気もない。

技術がないのに、根気もやる気もないとなったら実現不可能です。

要は「自分に合った服が欲しい」のであって「服を作りたい」わけではないのですね。

ここを間違えるといろいろややこしいことになってしまいます。

先走って布とかを買わなくてよかった(死蔵すること間違いない)。

お直しも難しい

標準よりも小さい私にとっては、既製服はたいてい裾も袖も長すぎます。

でも、シャツのカフス部分をほどき、また縫い付けるなんて私にはできません。

シロウトができるお直しなんて限られています。

もう自分で何とかしようと考えるのはやめて、プロにお願いしたほうがよさそうです。

最近読んだ「買わない習慣」(金子由紀子)という本に、ユニクロやZARAで買った服を、納得いくまで直して着る人もいるとありました。

5000円で買ったものを1万円かけてお直しすることもあるのだそうです。

作者は、これをバカバカしいことだとは思わないと書いていましたが、バカバカしくはないけれど、私にはできません。

ユニクロやZARAなら、多少不満があっても我慢して着るでしょう。

1万円もかけて、何をどう直したんだろうと気になります。

最初から15000円の服を探すという選択肢はなかったのだろうか、とも。

でも、本当のおしゃれな人というのは、こういうものなのかもしれません。

どこの服であっても妥協しないということなんですね。

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洋裁できればいいな、ということはもう考えないでいようと思います。

それでも心のどこかに、ある日突然目覚めて、服作りに熱中することがあるかもしれない、なんて淡い期待を持っていたりするのです。

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