以前なら誰かの「ファン」と言ったところを、今は「押し」というんですね。
ここ数日、何度もYouTubeで歌を聞いている「押し」(と呼べるのかな?)がいます。
それは「朱里エイコ」。
若い人は知らないでしょうね。
私も小学校時代にテレビで見た記憶があるだけです。
実力の持ち主
テレビで見ていたころは、ずいぶんと超ミニのお姉さんだくらいの印象でしかありませんでした。
最近、ふとしたきっかけで改めて歌を聞いてみると、すごくうまいのです。
ハスキーボイスで声量もあって。
「北国行きで」は頭に残るメロディーだし、カバーした「あの鐘を鳴らすのはあなた」もいいです。
それもそのはず、朱里エイコは16歳で単身渡米し、ラスベガスなどで活躍していたという、折り紙付きの実力の持ち主だったのです。
パンチのある歌声とダイナミックなアクション(ダンス?)のステージで、「リトル・ダイナマイト」と呼ばれていたとか。
昔の映像を見ると、ダンスで鍛えたらしい、筋肉のついたきれいな脚をしています。
受け入れられなかった?
日本では「北国行きで」(1972年)のヒットもあり紅白歌合戦に出場もしましたが、本来の彼女の実力ほどの人気ではなかったのではないかと思います。
その理由としては、当時の日本の芸能界がアイドル全盛だったこともあるようです。
アメリカのショービジネスで鍛えられた人を受け入れる土壌が、まだ作られていなかったのかもしれません。
個人的な感想としては、歌はうまいのですが、声にどことなく影があるように思うのです。
薄幸のにおいがするというか。
尾崎紀世彦の「また逢う日まで」をカバーしているのですが、こういう歌を聞いたあとでも、もの悲しい気持ちになってしまうところがあるのですね。
朱里エイコさんの晩年は不遇だったようで、うつ状態になったり肝臓病を患ったりで56歳で亡くなったということを知ったせいで、そんなふうに思うのかもしれませんが。
演歌とか
どんなふうにプロデュースすればもっと売れることができたのかなと、あれこれ考えたりしています(ヒマ)。
あの声の質なら、むしろ演歌を歌わせればよかったんじゃ?
どんな歌でも歌いこなせたでしょうから。
アメリカでやっていたことを白紙に戻して、日本人好みのスタイルでやったほうがよかったのかもしません。
でもアメリカの舞台に立っていて、英語の曲をいくつもカバーしている人が、そんな路線に納得したとは思えませんけれど。
一度、ナマのステージを見たかったです。
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