ここ数年、あまり服を買っていませんでした。
家で着るような普段着を、古くなって処分した時に買いなおす程度。
仕事をしていませんので、仕事用の服は不要。
子供も成長したので学校へ行く用事もなくなりました。
人と会うことはありますが気の張るような相手ではなく、がんばっておしゃれしていくような場所にも行きません。
別に新しい服なんかいらないなあ。
ずっとそう思い、それを不思議にも感じませんでした。
久しぶりに服を買う
10月に義母が亡くなり、四十九日が過ぎたころ、ふと「ワンピースでも買ってみようかな」と思い付いて買いました。
そして買った自分に驚きました。
店先で服を見ることはあっても、買うことはまずなかったからです。
ワンピースは、自分の実家に行く予定があったのでそのときに着ようと思いましたが、実家ですから別にどんな服でもいいのです。
買いたかったから買ったのでした。
常に義母のことが頭に
そこで思ったのは、義母のところへずっと週に1回通っていたのが多少は重荷になっていたのかもしれないということです。
介護というほど大層なことをしていたわけではありません。
介護の大半は夫が担い、夫の手伝いをしていた程度です。
だから、「こんなことくらいで負担に感じるはずはない」と思い込んでいた節はあります。
でも、夫が仕事に行っている間に義母になにかあれば駆けつけなくてはいけませんし、地震や台風などの災害が起きて、夫が帰って来られなかったら私が何とかしなくてはいけません。
私は車の運転が下手ですが、病院通いになれば連れて行ってあげなくてはいけないと想像しただけで緊張するようなときもありました。
最後の頃は家の中を手すりをつたってなんとか歩けるくらいまで弱ってきた義母のことが、頭のどこかに常にあったようです(私でこうなので、夫はもっと精神的負担が大きかったでしょう)。
実際、家で亡くなっているのを見つけたのは私でした。
欲望がないのは心が弱っているため?
どこへも行く気がしない。
新しい服など欲しくない。
そんなふうに思う時は、ちょっと心が弱っているときかも。
お金使わないから経済的でいい、なんて思わないで、ちょっと立ち止まって自分の心の中を覗いてみた方がいいかもしれません。
心が疲れたせいで、アレしたい、コレ欲しいと思わなくなっているのだとしたら、ちょっと自分に優しくして緊張をほぐしてあげた方がよさそうです。
「これくらいのことを大変だと思うなんて恥ずかしい」なんて思わないようにしよう。
いずれ高齢の両親が弱ってきたときのことを考えて、そう自分に言い聞かせています。
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