最近、ワクチン接種の件で母とメールすることが多くなっていました。
用件以外に一言二言、体調を気遣う言葉を入れるのですが、それに喜んでいるようです。
こちらにとっては時候の挨拶みたいなもの(深い意味はない)であっても、本人は「心配してくれている」と思うようです。
寂しかった?
今さら気が付いたのは、もしかしたら母はかなり寂しい思いをしていたのかもしれない。
もっと連絡が欲しいとか来てほしいとか、言いたいのを遠慮していたのかもしれないということです。
父との二人暮らしで、幸い二人とも元気という状況に私が甘えていたところはあります。
いずれ、二人がもっと弱ったらしょっちゅう顔を出すことになるのだから、今はまだ大丈夫だろうと。
もうとっくに大丈夫な時期は過ぎていたのかもしれません。反省。
孫の結婚・独立
考えてみれば、母の父への当たりがきつくなったころ、ちょうど母の孫たちが結婚(兄の子ども)や独立(うちの子ども)が連続したのです。
合間にはウチの義母が亡くなりました。
私も兄夫婦も、子どもや家のことに忙しくて両親への連絡が減っていたのかもしれません。
母は、孫のことなので文句を言うつもりもないけれど、取り残されたような寂しい気持ちをどうしようもなかったのかもしれません。
あげくにコロナです。
寂しさのあまり昔の嫌な記憶を掘り起こして、八つ当たり的に父へ怒っていたのかも。
実際のところは本人でないとわかりませんし、母がどこまで意識していたかもわかりませんが。
気持ちを言わない
母はもっと私に「会いに来て」と言いたかったのかな。
以前、母は自分の母親が口うるさい人でそれが嫌でたまらなかったので、娘(私)にはうるさいことを言わないように気を付けていたと言っていたことがあります。
確かに子どものときに「勉強しなさい」とか、年頃になって「早く結婚しなさい」とか言われたことがありません。
そのせいか、どうもぼんやりした、あまり気の回らない人間になったような気がせんでもない。
いえ、親のせいにしてはいけませんね。
基本、私は自分の事ばかり考えているのだと思います。
遅まきながら、もう少し親のことを気にかけるようにします。
メールの頻度も上げて、実家へ行く回数ももう少し増やそう。
もしこれで母親の気分が安定して、家庭内が穏やかになってくれれば嬉しいのですが。
コメントを残す