ネットサーフィンしているときに、柴本礼さんという方のエッセイを読みました。
イラストレーターである彼女は、ダンナさんがくも膜下出血から高次脳機能障害を負った経験をマンガにして出版しています。
その本「日々コウジ中」を、夫が入院中だった病院で借りて読んだことがありました(そして高次脳機能障害の大変さに衝撃を受けました)。
そのエッセイの中で触れられていたのが、「介護者の権利章典」です。
中身については書かれていなかったので、調べてみました。
少し長いですが載せます。
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私には次の権利があります。
・ 自分を大切にすること。これは決して自分本位な行いではありません。
そうするほうが、家族に良いケアができるのだから。
・ 仮に周囲から反対されたとしても他の人に助けを求めること。
自分の忍耐と力の限界は自分で分かっているのだから。
・ 介護とはまた別の自分自身の生活、その人が健康であったら送っていたはずの私自身の生活を守ること。
私は介護している人のため無理のない範囲で自分にできることは全てやります。
同時に私には自分自身のために何かをする権利もあります。
・ 時に怒りを感じたり、落ち込んだり、その他、やっかいな感情を口にすること。
・ 罪悪感を感じさせたり気持ちを落ち込ませたりして(時にはその両方を通じて)
身内の人間が私を操作しようとする(意識的であれ無意識であれ)のを許さないこと。
・ 私が思いやりと愛情と許しと受容を差し出している限り、
愛する人に私がしてあげていることに対して私もまた思いやりと愛情と許しと受容を与えられること。
・ 自分が成し遂げていることに誇りを持つこと。そして家族のニーズに応えるために
時として奮い起こしている勇気に自ら拍手を送ること。
・ 一人の人間としての自分を守り、自分自身のための人生を作っていく権利を守ること。
それをして初めて、家族が私のフルタイムの介護を必要としなくなった時にも
私は私のままでいられるのだから。
・ 身体的・精神的に傷を受けた人たちを助けるため、わが国の資源の開発が新たに歩みを進めていくように、
介護者を助け支えるための歩みもまた進められていくよう望み、求めること。
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原文は高齢者介護をしていたアメリカ人が書いた英語で、重症心身障害者の娘さんを持つライターの児玉真美さんが訳されたものとのことです。
脳出血後の夫に対して介護と呼べるほどのことはしていませんが、それでも行動の制限や不自由さは感じていて、不安や不満が生まれ、そして自己嫌悪に陥ったりしています。
時にはこの「介護者の権利章典」を読み返し、ふらつく気持ちを立て直そうと思います。
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