先週、山梨県と和歌山県で地震がありました。
両親の住んでいるところでは震度3だったのですが、父母ともに足がしっかりしていないので、念のために電話をかけました。
ところが電話がつながりません。
何度かけても
母にかけ、メールを送り、父にかけ、また母にかけ。
二人とも耳が遠いので電話の音が聞こえないだけだと思おうとしましたが、何かあったのではないかという不安がだんだん大きくなってきます。
母は転んで以来膝を傷めているし、父も膝の調子がよくないので、踏ん張ることが難しいはず。
もしかして階段の途中にいるときに地震が起こって落ちたのかも?
もう一人がその処置に追われていて電話に出られないのかも?
想像は悪いほうへ、悪いほうへと膨らみます。
こんなとき、「まあ大丈夫だろう。電話に気が付かないだけだろう」とはなかなか思えません。
地震が起こってから10分くらいしか経っていないし、もう少し待ってみよう。
いや、それよりも行ったほうが早いのか?
迷っているうちに、ようやく母から電話がかかってきました。
気付かなかっただけ
想像通り、電話の音に気が付かなかっただけなのですが、母はなんと地震にも気が付いていなかったらしいです(父は気付いた)。
そして、心配して電話かけた私に対し、「そんなことで心配せなあかんアンタも大変やな」と人ごとのように言っていました。
いろいろ心配しましたが、実際のところはこんなものですね。
何もなくてよかったです。
詐欺の場合
でもふと思いました。
もし振り込め詐欺の電話を受けて、身内にトラブルがあったと聞かされお金が必要だからすぐに振り込めと言われたら、「ちょっと待って」と立ち止まることができるだろうかと。
ちょっと難しいんじゃないかと思いました。
何か心配なことが持ち上がると、どうしても悪いほうへと想像力が働いてしまいます。
今回は、私が実家に駆けつけても笑い話で終わりますが、大金を振り込んで盗まれることになったら目も当てられません。
それを防ぐには、家族でも近所の人でもいいから、誰かと話すことではないかと。
「こんなことがあって、こうしようと思うんだけど」と話せば、「こうしたほうがいいんじゃない?」とか「それ本当の話なの?」などと言ってくれると思うのです。
今回も夫がいればもっと冷静になれていたと思います。
「一人」というのが悪い想像を暴走させるようです。
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