児童文学者の角野栄子さんのエッセイを読んでいたら、昔のお正月風景について書かれたものがありました。
角野さんがまだ50代のころに書かれた文章のようです。
角野さんの実家に子どもや孫が集まって過ごした思い出です。
ごちそうは持ち寄りで
集まるのは総勢25名。
それぞれ料理を持ち寄ります。
角野さんのお姉さんはローストビーフ。
角野さんは大根と豚の角切りの煮込み。
上の弟のお嫁さんはけんちん汁とデザート。
上の妹はフランス風のパテ。
下の弟のお嫁さんは毎年ニュースタイルのサラダ。
末の妹はエビ料理などの中華風。
母と上の弟のお嫁さん合作の角野家のお雑煮とお節。
そして出前のお寿司。
上座に父と母。
お祝いは父の乾杯で始まる。
お年玉を配り、麻雀をして。
子ども達が小さいころはよく大騒ぎになっていたのを眺めてお父さんは、「何が財産かといっても、子どもだな」とよく言っていたそう。
楽しい記憶
この文章を書いた50代の角野さん、それまでお正月を実家で過ごさなかったのは集団疎開をしていた終戦の年とブラジルに行っていた2年間だけだったらしい。
「物心ついてから私の記憶にあるお正月はすべて楽しさに輝いている」。
角野さんは5歳のときにお母さんを亡くされています。
お父さんはその後再婚。
だからこそ、「私の家族は大人も子どもも、せめてお正月は心を合わせて、めでたさを盛り上げようとつとめたように思う」ということなのですね。
立場が違えば
いかにも楽しそうなお正月です。
子どもだったら間違いなく楽しみで仕方ないでしょう。
でも大人だったら。
自分の実家に行く人と、配偶者の実家に行く人とでは気持ちも同じではないはず。
角野家のお正月はお料理を持ちよるなど負担が偏らないように工夫されていますが、それでも訪れる方と迎える方の負担が同じとは思えません。
上の弟のお嫁さん(おそらく同居)はどう感じていたのでしょう。
「いっつもみんなが遠慮なく集まれるように心をくだいてくれる」
と、角野さんに言われていたお嫁さんは、みんなが集まってくれて嬉しいと思っていたのか、お正月ってこんなものという諦めも少しはあったのか。
親戚が集まる機会はお正月くらいしかないからこそ貴重ですが、まず、それだけの人数が集まれる広い家であることも条件です。
子どもの数が減っていることを考えると、こんなお正月風景はいずれは完全になくなってしまうのかもしれません。
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