手を合わせていたから起きたこと

夫の実家は真言宗ですが、私自身は信仰心というものがほとんどなく、知識も持ち合わせていません。

夫の実家は亡くなった義母を筆頭にみな信心深い人だったので結婚当時はそれが受け入れがたい時もありましたが、さすがに20数年たつと自然なこととして夫と一緒にお経を唱えたりしています。

息子の事故

亡くなった人の供養って大事なのかもと初めて真剣に思ったのは、息子が大学入学後に事故にあったときです。

原付に乗っていて車にはねられ、意識不明の状態で運ばれました。

現場に駆けつけてくれた警察の人とあとでお話したのですが、現場を見たとき、これは簡単な怪我では済まない、大変なことになっているだろうと思った、と言われました。

実際には検査のために一晩入院しただけで済み、後遺症もありませんでした。

(そのことを警察の方に報告したら我がことのように喜んでくれました。)

事故現場を見慣れている警察の人が「これはマズイ」と感じたほどの事故で、ひどい怪我もせずに済んだのでした。

供養していたから?

本当に運がよかったのですが、この事故があったころに夫が夢を見ていました。

夢には、血だらけになった義父(故人)が出てきたというのです。

たかが夢なのですが、この話を聞いたときに私は「おじいちゃんが息子の身代わりになってくれたんだな」と思ったのです。

もしかしたら、孫を守るのは死んだ者の勤めだと、夫自身が思っていたためにそんな夢を見たのかもしれません。

本当のところは確かめようもないのですが、もしかしたら義父は息子を守ってくれたのかもしれない。

夫が手を合わせ、供養していたからこそそんなことが起きたのかもしれない。

そんなふうに感じるようになりました。

少しづつ変化

義母は生前、夫に向かって「孫のことは任せとき」と言っていたそうです。

自分が死んで仏になったら、孫のことは守ってやるからと。

そんな力を持てるようになるんでしょうか?

私は仏教の教えについてはさっぱりわからないので、「へええ」と思って聞いただけなのですが、どうなんでしょうね。

夢の話を聞いて以来、亡くなった家族を供養することで自分たちを守ってくれる(かもしれない)のなら、お経上げるのも嫌ではないなと思うようになったのです。

信心深かった義母にしても、信仰することで神さんにいうこと聞いてもらおうと思っていたフシがありますから、現世利益を求めることは別に悪いことではないのかも。

勉強不足で供養と信仰をごっちゃにして書いている気がしますが、ご容赦ください。

若い時は信仰と聞いただけでそっぽ向きたくなっていましたが、少しだけ変わってきたように思います。

読んでいただきありがとうございました。
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