年と共に衰えるのは仕方のないことと思いつつも、特に美容面ではがっくりくることが多くなっています。
気分としては、崖に両手をかけてぶら下がっている感じ。
だんだん指が一本、また一本と離れていき、ついには「老化」という奈落へまっさかさま……。
体の衰えに落胆する一方で、年を取ってよかったと思えることもあります。
よかったと思えることは
それは、人と比べなくて済むようになったこと。
学校時代は成績とか運動神経とかモテ方とか容姿とか、同年齢が集まっている場所なのでどうしても人と自分を比べがちでした。
いわゆる「下」を見ることはなく、「上」ばかりを見て劣等感を感じることが多かったように思います。
学校を卒業しても彼氏がいる・いない、結婚した・していないで周りが気になる。
人は人だと思っていても、気になるものです。
子どもを比べる
そして、人と比べることにおいてこれが一番きつかったなと思うのが、自分の子どもが小さいとき。
立った歩いたの頃はまだいいのですが、大きくなるにつれて○○ちゃんはもう字が書けるらしい、××君は英語を習いに行ってるんだって、なんてのが耳に入ってきます。
こういう話を聞いてうちの子はうちの子、とどっしりしていられる人はそれほど多くないのでは。
学校に入れば、否応なく成績でふるい分けられる受験が待ち構えています。
好きなことや得意なことを持っている子どもなら、その部分を伸ばしてあげればいいのですが、特に何に興味もなさそうな子だと(娘がこのタイプでした)いいところを見つけてあげられない母親の自分がだめに思えたり。
子どもを持つと、こういう葛藤が延々続きます。
でももうそれも終わりました。
子どもの同級生たちがどうしているかは、私の耳には入ってきません(結婚した友達がいたりすると子どもが教えてくれますが)。
あー平穏。
しかし、子どもがもっと年を取ると、今度はまた結婚したかどうか、子どもがいるとかいないとかで人と比べることになるのかもしれません。
そうなるまでの一時の平穏さなのかも。
人付き合いがないから
考えてみると、「人と比べなくなった」というのは、要は人との付き合いがないからということですね。
子どもが大きくなっていたとしても、毎日のように同年輩の人と顔を合わせていれば、自分のことであれ家族のことであれ、比べるようになるのかも。
平穏さは孤独と隣り合わせなのかもしれません。
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