先日新聞で、益田ミリさんのエッセイを読みました。
大人になって始めたピアノを、去年やめたそうです。
ピアノは10年、続けたそうですよ。
楽しくレッスン
益田さんの自宅にはピアノがないので、週に一度、火曜日の30分のレッスン前に、レンタルルームで30分復習。
弾く曲は先生と相談して決めて、クラシックを基本に映画音楽をはさんだり。
「ムーン・リバー」が弾けるようになったときは、弾き語りにも挑戦したものの、挫折したとか。
楽しくレッスンを続けていたそうです。
お父さんを亡くして間もないときも、嫌なことがあった日も、むかつくことがあった日も。
いつも通りの自分でいられる場所がある幸せ、鍵盤に指を置き、次に弾く音だけを考えていられるありがたさ。
人生のトッピング
止めた理由は、あえて言うと「一区切りついたから」だそうです。
もったいないという気はしないそうです。
10年分の楽しい火曜日を、自分の人生にトッピングできたのである。
トッピング!
素敵な考えだと思いました。
お稽古や趣味で、人生をそのものを大きく変えることはなかなか難しいけれど、トッピングくらいならできそう。
そして、トッピングするものによって、人生の味もいかようにも変えれそう。
健康的にしたり芸術的になったり、人とのつながりを楽しめたり、自分の内面を深く掘り下げることも。
何かしたいけれど
やっぱり趣味のある人生はいいなと思いますね。
辛いことがあったときの逃げ場にもなってくれそうだし。
私は趣味と呼べることはせいぜい読書くらいなので、子どもが家を出た今、何か新しいことをしたいと思っています。
何がいいかな、何ができるかな。
野球やサッカーの応援をしている人を見ると、なんて楽しそうなんだと羨ましくなりますが、そこまで好きになれるかなという気持ちにもあります。
なかなか最初の一歩を踏み出せないです。
コロナで動きにくいという状況もありますしね。
同じじゃない
益田ミリさんは、ピアノを止めてしまったことで弾けなくなってしまうだろうと書いています。
「でも、始める前の「弾けないわたし」と同じじゃないのだと思う」とも書いているのです。
そうですよね。
始めてみても合わないと思ったら止めればいいのだし、気に入って続けても止めてしまえばできなくなってしまうことも多い。
でも、「やらなかった自分」とは違っているはず。
そう思えば、とにかくやってみようという気になれます。
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