「ピーターラビット」120周年。作者のポターはどんな人?

イギリス生まれのウサギの絵本、「ピーターラビット」が出版されて今年で120周年です。

「ピーターラビット」シリーズは全23巻。

48の言語に翻訳され、発行部数は計2億5千万部以上にのぼります。

著者のビアトリクス・ポターはどんな人だったのでしょう。

キノコの研究

ポターは子どものころから動物を飼い、観察してはスケッチをしていました。

キノコにも興味を持ち、大人になってからはキュー王立植物園でキノコの研究をするようになり論文も書きあげます。

しかし、そのころは女性が学会に参加することは許されておらず、やがてポターは研究から遠ざかります。

絵本を自費出版

ポターが初めて自分の作品で収入を得たのはまだキノコを研究していたころ、ペットのベンジャミンというウサギをモデルに描いたクリスマス・カードでした。

34歳のときに、家庭教師の息子の少年に送った絵手紙から「ピーターラビットのおはなし」の絵本を自費出版します。

その後、絵本をフレデリック・ウォーン社から出版するようになると、瞬く間にベストセラーになりました。

結婚

出版社のフレデリック・ウォーン社は創業者の3人の息子によって経営されていました。

ポターと連絡を取り合っていたのは一番下のノーマンで、次第に惹かれあうようになります。

ノーマンからのプロポーズを受けますが、家の格を気にする両親に結婚を反対されます。

39歳になっていたポターは反対を押し切り結婚の意思を固めますが、1か月後にノーマンは白血病で亡くなってしまいます。

ポターが結婚したのは47歳のとき、お相手は自然保護活動を通じて知り合った弁護士のウィリアム・ヒーリスでした。

農場経営や商品企画

湖水地方のニア・ソーリーにあるヒル・トップの農場を始め、ナショナル・トラストを支援するため湖水地方の土地や建物を購入していきます。

58歳のときには2000エーカー以上の広さを持つ大農場トラウトベック・パークを購入し、農場経営も行います。

ポターは著作権の管理を行ったり、ピーターラビットのぬいぐるみを試作して特許庁に登録もしています。

ほかにもピーターラビットのボードゲーム、陶器、壁紙、文房具、ハンカチなどさまざまな商品化を企画するなど、女性起業家のパイオニアだったという声もあるほどです。

ポターは1944年に77歳で亡くなり、遺灰は遺言どおりにヒル・トップの丘に散骨されました。

ただ、散骨した場所は夫のウィリアムにさえも秘密にすることを望んだため不明となっているそうです。

※世田谷美術館、ハルカス美術館、静岡市美術館でピーターラビット展が開かれるようです。

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