「丁寧な暮らし」に反発している場合じゃない

パッと見ただけで無意識のうちに反感を覚える言葉があります。

それは「丁寧な暮らし」。

私は対極と言っていいような手抜き生活を送っていますが丁寧な暮らしへの憧れがあって、そのせいで反発を感じてしまうようです。

私の思う丁寧な暮らしは、味噌やぬか漬けを作り、家の中を毎日磨き上げ、季節ごとのしつらえもして、いつ誰が来ても恥ずかしくないような暮らしのこと。

こういう生活ができる人とは住む世界が違うと思っていましたが、ちょっと考えが変わりました。

禅僧(とくに修行僧)が日々の生活を細かく決められたスケジュールで行うのは、自由にしていると際限なくだらしない生活になってしまわないよう、「箍(たが)」をはめて自分を律しているからだそうです。

何も考えないで自由気ままに過ごしていると膨大な情報がどんどん入ってきて、あそこへ行きたい、これが食べたい、あれが見たい、それをやりたい、などと煩悩を掻き立てられてしまう。

それは僧侶も同じこと。

だからこそ、厳しい生活でたがをはめ、刺激を目に入れず自分を律することができるというのです。

禅僧ではない一般の人は、例えば脱いだ靴をきちんとそろえる、お茶を飲むときはお茶に神経を集中するなど、何をするときも心を込めて丁寧にすることで、心も体も整うとのこと。

実に耳が痛いです。

我が家は四六時中テレビがついていたり、パソコン見ながらコーヒーを飲んだり、「ながら」が多いです。

「丁寧な暮らし」に反発する前に、自分の生活ぶりを反省すべきですね。

だからいつも心の中がちゃんと定まっていないような感じがして、道に迷っているような落ち着かない気持ちがするのかもしれません。

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