もうすぐ義母の一周忌です。
亡くなってからの1年はあっという間だった気もするけれど、まだ1年なのかという思いもあります。
一周忌だからか、義母を思い出すことがあります。
不思議なこと
お通夜の日、葬儀会社の人が家に来て準備してくれて、出棺を待っていたときのこと。
突然、夫のスマホが鳴り、見てみると発信者は私になっています。
私のスマホはバッグに入れて、部屋の隅に置いてありました。
私たちも、義弟夫婦も「え?」という顔になりました。
もしかして、何か入れ忘れてるのでは?
棺の中には義母の身の回りのものとか、孫が小さいときに描いた絵などを入れてありましたが、これから寒くなるから暖かい服など急いで入れました。
そしてお通夜が終わった日の明け方、寝ているとバサッと音がして、見るとかけてあった私の喪服が落ちています。
隣の夫の喪服は落ちていません。
服を掛けなおし、また布団に入ってから、義母はまだ何か言いたいことがあるのではないかと思いました。
これはちょっと真剣に思い出さないといけないと思っていると、以前、義母が夫と話していたことを思い出しました。
義母は、まだ義父が生きていたころに一緒に曼荼羅の絵を買いに行き、それを額に入れて飾ってあったのです。
私が死んだらあれを一緒に入れてな、と言っていたはず。
夫に言うと、「そんなこと言ってたか?」とまるで覚えていません。
でも、そうかもしれないということで、曼荼羅はちゃんと棺に入れることができました。
その後、何も起こらなかったので、義母の希望はやっぱり曼荼羅だったのかということになりました。
大きな音が
後で聞くと、お通夜の夜、実家に泊まった義弟夫婦が寝ようとしていた時、「どーん!」とすごい音がしたそうなのです。
その後何もなかったので、そのまま寝たそうです。
その音も義母だったのでしょうか。
義母は、あの手この手で曼荼羅のことを思い出させようとしていたのかも。
息子二人が気付いてくれなかったので、最後に私に言いに来たのかもしれません。
スマホを鳴らす、大きな音を出す、かけてある喪服を落とす。
いろいろできるんですね(早く気付いてあげろよって話ですが)。
今はもう何もない
私はそれほど記憶力がいいわけでもないので、今思うと曼荼羅を思い出せたのが不思議です。
何かを思い出そうという気持ちになったのは私ですが、あとは義母がやったことではないかな。
私には霊的な力は全くなくて、むしろ鈍いほど何も気が付きません。
でも、義母が亡くなったときに不思議なことが起こったことについては、別に怖いとも嫌だとも全然感じませんでした。
むしろ、なんとか気付いてあげられてよかった。
お葬式が終わってからは、義母の夢も見ないし、何かを感じることもありません。
ちょっと寂しい気もしますが、これでいいんですよね。
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