持っている服を全部出して、もう必要のない服を捨てたいのですが、テレワークの夫と息子がいるのでなかなかできません。
でも、この先いつになったら普通に出勤するようになるかもわかりません。
ぐずぐずしていないで、できるところから捨ててしまおうと、やっと重い腰を上げました。
背中を押された言葉
後生大事に持ち続けている古い服が何枚もある私ですが、「もう捨てないといけない」と強く思ったきっかけは、ある本でした。
金子由紀子さんの「持たない暮らし」にこんなことが書いてあったのです。
モノを大事にするのは立派ですが、服は社会に対するメッセージでもあるので、あまりに時代から逸れたものを着ると、いろいろな意味でソンをします。
そうかもしれない、とぎょっとしました。
古い服を平気で着ている私は、自分の気が付かないところで損をしていたのかもしれません。
ファッションに詳しくない私でも、人が着ている服を見て「古そうなデザインだな」と感じることはあります。
そして、そんな服を見たとき、「古い服を着ているんだな」と思うことはあっても、「モノを大事にする人なんだな。すてきだな」とまでは思わないことが多いです。
モノがよくて、擦り切れたり毛玉ができたりしていなくても、あまりに古い服は、見た人にそれほどいい印象を与えないかもしれません。
こうも書いてありました。
「流行がまた巡ってくるかも」と上質の服をとっておく人もいますが、まったく同じものが流行ることは、まずありません。
袖丈や身幅などの微妙なシルエットはぜったいに違うし、自分自身のサイズが変わらない保証はないと。
いやほんとにその通りですね。
お気に入りの服が見つからない
私の場合、服がもったいなくて捨てられないというより、新しい服を買いに行くのが面倒で(なかなか気に入った服が見つからない)古い服でも捨てられないのですよね。
そんな古い服を今でも活用しているかというと、ほとんど死蔵していて、ごく少ない服を着まわしているわけですが。
しかし着ない服を置いておいても仕方ありません。
もう何年も袖を通していない服を、この先また着るようになるわけはないのです。
少しだけ処分
ということで、とりあえず全く着ていないウールのハーフコート、ジャケット、ニット2枚を処分しました。
多少タンスが空いたかなという程度です。
まだまだ捨てなくてはいけない服はありますので、「いろいろな意味でソンをする」という言葉を忘れずに片づけなくては。
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