実家に行くと、母の愚痴を聞く羽目になります。
いえ、聞きに行っているのです。
多少でも愚痴を言うことで気分がすっきりして、仲の悪い父親との空気が良くなればと思って。
でも、これが本当に母のためになっているのかと思うようになりました。
愚痴は何も改善しない
母本人も、「言っているときは少しは気分がよくなるけれど、時間が経てば元通り」だと言っています。
愚痴はいくら言っても、何も変わらず、どこにも行きつかないのでしょう。
というより、言っている本人が何かを変えたくて愚痴っているわけではないのです。
ただ聞いて欲しいだけ。
ということは、今まで私は何の効果もないことを我慢して続けていたことになります。
そろそろやめたほうがよさそう。それに自分の身ももちません。
別の話題
脳科学者の黒川伊保子さんは、
「愚痴話の出口は『解決』ではなく、別の話題へのジャンプだけ」
だと言っています。
人の愚痴話を聞かされがちな人は、自分の話題を突っ込めないから話を終えられないのだと。
自分の話題は何でもよくて、ジョギングでも英会話でもゲームや韓流ドラマでもなんでもいいのです。
母親の愚痴話に困っている人も、自分の趣味や習い事の進行状況を楽しく聞かせて、「じゃあね」と終わらせましょう、とのこと。
なるほど。
確かに私、いつも自分の話はしません。
母とは趣味が違うし、私がやっていることを言うと、「もうそんなん、私はでけへんわ~」なんて言うので。
でもそこで引かなくてもいいのかも。
誰かが止めるべき
家庭問題や人生相談の専門家、ミセス・パンプキンはこんなふうに書いています。
「愚痴っぽい人は、愚痴の対象そのものより、愚痴ること自体が生きがいと化します。(略)どこかで誰かが止めないと、年を追うごとにひどくなります。そして周囲から人が遠ざかっていくのです」。
母はもともと社交的な性格なので、人との交流が好きです。
なのに、母の友人達は年を取って付き合いができなくなってきました。
近所の人とは、まだ少しはつながりがあるようですが、そこでも愚痴を話すようになったら付き合いさえなくなってしまいそう。
今度、実家に行ったときに愚痴が始まったら、我慢せずに話を変えてみようと思います
うまくいくかな?
昔は「愚痴は溜めないで話して吐き出した方がいい」みたいに言われていた時期もあったように思うけれど、最近では、愚痴は言わないほうがいいという説が主流ですよね。
世の中いろいろ変わってきているなーと感じます。
とはいえ、年を取ると物事に対して、新鮮な気持ちも持ちづらくなるし、これまで生きてきた自分の固定された価値観(固定観念?)に当てはめて理解したくなりますけど。
それにしても、自分が共感できない「愚痴」は聞きたくないです。
エンターテインメントの話(ドラマや音楽など)を相手は興味がなくても、話し続けるか、健康食品のおすすめを持っていく、などでしょうか。
最近、ヤクルトのY1000というドリンクが流行っているらしいので、スーパーで買ってみました。
話題作りって難しいですよね!
hinoeさん
いつもコメントをありがとうございます。
そうですね、相手が年をとってきていることを忘れちゃいけませんね。
日々の生活にも刺激がなく、話題にしたいこともないはずなので、つい愚痴が出るのかもしれません。
愚痴が始まったら話を変えると言っても、母とは共通の趣味がないので話題を探すのに苦労しそうです。
私自身があまりしゃべるほうではないので、すぐに話が途切れてしまいそうな予感はします。
>ヤクルトのY1000というドリンクが流行っているらしいので、
そうなんですか?
私も買って行こうかな。教えていただいてありがとうございます。