義母が亡くなって無人となった夫の実家を片づけていると、ストレスがたまります。
モノが多すぎて、捨てても捨てても減らないことが原因です。
が、他にもあります。
夫の実家なので夫主導で片づけが進むのですが、これが時に「こっちじゃなくて、あそこから始めればいいのに」などと考えが違うことがあってモヤっとするのです。
狭く深くか、広く浅くか
片づけの日は、夫に「今日はどこから片づける?」と聞きます。
すると、いちおう台所のこことか、2階のどことか返事があります。
でもいざ始めてみると、ほとんど行き当たりばったりです(のように見える)。
私が一番解せないのが、一か所をちょっと片づけたら、次の場所に移動して片づける。そしてまた移動する。
広く浅く片付けていくのです。
一か所かせいぜい一部屋に限って、そこを徹底的に片づければ、気分的に「ひとつ片づいた」と思えて達成感を得られるのではないかと思うのですが。
私は少しでも気分がラクになるような片づけ方をしていきたい(目で見て分かる成果が欲しい)のですが、夫の考えはまた違うのでしょう。
あっちこっちを片づけながら、全貌を把握しようとしているのかもしれません。
邪魔になるものから先に
私が夫に「これから捨てれば?」と言ったのは、2回目の片付の時。
玄関の三和土に、籐製の長いもの入れ(ベンチにもなる)が置いてあったのです。
これを早々に捨てたことで玄関が広くなり、物を出しやすくなりました。
タンスや押入れの中は後にして、床の上に置いてあるものから捨てていったほうが、後々の作業もやりやすくなると思うのですよね。
でもまあ、あまり口を出さないようにしています。
自宅の片づけと違って何もかも捨てることになるので、言ってみれば順番や方法はどうでもいいのです。
どこまで自力で処分して、どこから業者にお願いするか、その線引きが必要なだけです。
形見はいらない?
両親の形見として何か残しておきたいのではないかと思うのですが、そんなそぶりは見せず。
どんどん捨てていっています。
あ、写真だけは残しています。
義両親は二人とも写真を整理する習慣はなかったようで、ただ束にしただけの写真があっちやこっちから出てきています(いつかデータ化することになりそう)。
新婚旅行の写真も出てきました。
義父に寄り添う笑顔の義母。
これが60年?たつと、先だった義父を罵倒するようになっていましたからねえ……。
いろいろ考えさせられます。
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