脚本家・エッセイストの向田邦子さんが51歳で亡くなって、今年で40年。
台湾の飛行機事故でした。
高校生だった私は、テレビが一斉に報道していたのを覚えています。
編集者から脚本家へ
編集者から脚本家へ
向田邦子さんは映画雑誌の編集者を経て、ラジオやテレビの脚本を書くようになります。
人気脚本家として「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」などの人気ドラマを書きました。
エッセイや小説も手掛け、直木賞を受賞しています。
手元にある2冊
私はドラマを見る習慣がなかったので全く見ていませんでしたが、エッセイは何冊も読みました。
残念ながらその本は1冊も手元に残っていません。
ただ、雑誌と料理のレシピ本をいまだに持っているのです。
「向田邦子の手紙」
雑誌は昭和57年発行の「クロワッサン別冊 向田邦子の手紙」。
向田さんが亡くなって一年後に発行されたものです。
雑誌の内容は、向田さんが書いた手紙や、生前交流のあった人達の話、可愛がっていた猫の「マミオ」のことなど。
日常で愛用していた品や、集めていた骨とう品の写真など。
向田さんはおしゃれな人だったらしく、こんな写真集のようなページも。
恵まれた才能を生かして精一杯仕事をし、思いっきり遊びもして、あっという間に亡くなってしまったかっこいい人。
そんなイメージを持っています。
「向田邦子の手料理」
もう一冊は「向田邦子の手料理」というレシピとエッセイが載った本。
向田さんはおいしいものに目がなく、食に関する切り抜きや栞の入った「う」の引き出しがあったそうです。
「う」はうまいものの略。
向田さんは、乳がんの手術を受けた後遺症で一時期右手が使えなくなったためか、9歳下の妹と共同で小料理屋「ままや」を開店しています。
本にはこの妹の和子さんのエッセイが最後に載っていて、向田さんの素顔が垣間見れます。何をするのも手早くせっかちで、おごり上手で食いしん坊。
事故の前日、台湾にいる向田さんと電話で話したのが最後だったそうです。
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遅筆で有名だった向田さん、留守番電話にはこんなセリフが。
「私ただいま、このマンションのロビーにおります。5分で戻ってまいります」
ロビーにいると言いながら鎌倉往復していたこともあったそうです。
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