母が靴を買いたいというので買い物につきあってきました。
最近、父への当たりが柔らかくなった母ですが、やっぱり何も変わっていなかったようです。
相変わらず小競り合い
私が実家に行ったとき両親が普通に会話しているのを見て、雪解けかと思って内心喜んでいました。
でも、それはたまたま「凪」のときに行っただけだったようです。
相変わらず、父に腹を立ててキツイ言い方をし、それに父も腹を立てて口をきかなくなる、ということをやっているようです。
やれやれ……。
せっかく二人ともそこそこ元気な状態で長生きできているのに、夫婦仲が悪いなんて残念なことだと思います。
仲良くならないまでも穏やかに暮らせないかと思うのですが、もうそんなことを期待するのは止めておこうと思います。
私が思ったところで両親が変わることもないでしょうし。
どちらかが亡くなるまで小競り合いを続けるのでしょうね。
まあそれも夫婦の一つの在り方なのかも。知らんけど。
愚痴は長くない
でも、母の愚痴は以前ほどには長くつづきませんでした。
以前は、私が聞いていられずに視線が泳ぎ出すこともあったくらいに延々続きました。
本人は何も気づいていないようですが、何か変化でもあったのかな?
単に飲食店のテーブルにあるアクリル板のせいで、話しにくかっただけかもしれませんが。
いずれまた愚痴が始まるかもしれませんが、聞き流すようにします。
親の衰え
年の割には元気な母ですが、やはり衰えてきています。
もともと耳が遠いのですが、より悪くなっているみたい。静かな家の中ではなく、ざわざわした場所だったせいかもしれません。
よく聞こえていないからか、会話がかみ合わないことが何度もありました。
食べる量も減ってきています。
平地はスムースに歩いていますが、階段の下りは手すりを持ってゆっくり。
そして体力もなくなっているようで、早めに解散しました。
でも、気に入った靴(ミズノのスニーカー)が買えたので、早速履いてみると上機嫌でした。
その靴で元気に歩き回るつもりのようです。
いっぽうの父は、まだ杖を突きながら歩けていますが、長い距離はもう無理のよう。
私が実家に行ったときは、家に中にいる父しか見ていないのよくわからなかったのですが、歩くスピードがかなり遅くなってきているそうです。
父は朝、目覚めたとき「あ、まだ生きているんやな」と思うらしいです。
年いくとそうなるんですかね。
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